英語の2大未来形の違いを教えようとすることがたびたびあります。
I will
I am going to
普通は、これらの違いを後者は以前から決めたこと(そのつもりがある、企画している、その予定)と前者は今きめたことを言うときに使います。
例えばI am going to the cinema this weekend.(今週末映画感に行く予定です)というのは以前から決めたものですので、going toを使いますが、
I know, I’ll go to the cinema this weekend.(分かった。今週末映画館に行こうと思う)
しかし、そのとおり教えていますが、いろんな例外というか、「今決めた」という説明に入らないもの。例えば、自分以外について話している場合
He will be the head honcho of this university one day.
自分についての推測
I will be dead before I am 60.(私は60に成る前にもう死んでいる(しまう)だろう)
そして将来形ではありませんが、
If you smoke you will be dead before you are 50.(タバコを吸ったら50になる前に死ぬでしょう)と(暗い事例ですが)今決めていないことを言います。
I will be dead..は「推測としてのwill」とか呼ばれているかと思います。後者は仮定法の中のwillといわれます。
しかし、私は例外を例外に重なる文法の説明が嫌いですので、何か「willの将来形」に共通した気持ちがあればと。それを教えることができれば便利です。
自分としてはwillはやっぱり意志のwillと関連していますが、willはどういうことか?
私見ですが、willは意志のように、「したいこと」や「したいことへ仕向ける精神的な努力」とかではなく、willというのはそもそもたんに頭の中の言葉かもしれません。そこで、will+動詞の未来形は、willは言葉の中の未来を表現しています。
つまり、実現性があるかどうかは問題外で、自分の理論の中の将来というか、頭の中の「内言」の中の将来ではないかなぁ。では、Willが使われている例と使われていない例をみて、この会社が会えるかどうかを考えます。
I am going to the theatre next week.は以前決めたことで、ずっと頭の中でそう繰り返しているわけではありません。しかし、親が子供に
No, you are grounded(いやあなたは外出禁止)と言ったら、1人に残された子供は自分に言い聞かせようとして、
I will go to the theatre, I will go the theatreと言っても不思議ではありません。
今決めたことについての発言も一種の発言行動(speech act)で、「I'll call you」という発言はその行動決断そのものです。これは「意志」、意志表現にもっとも近いことで、「自分がしたくて自分が決めたこと」に近いです。しかし重要なのは「したい」という意志の側面ではなく、その発言自体だと思います。例えば。。。
I will be dead before I am 60.という自然な発言は決して自分が意志決定して死を選んでいるわけではありません。まったくその反対です。willはよく意志決定の有無の両極で現れてきます。これは偶然ではありません。なぜなら、重要なのはwillは欲望や心理的な決断という意味の意志ではなく、「言葉の上で」「この言葉のとおり」という意味です。本人の死はまさにそのような将来です。本人の死は、本人にとって言葉の上でしか存在しませんからです。
If you smoke you will be dead before you are 50.もまさに言葉・理論を言っているだけです。50歳になる前に死ぬ人について言及していません。タバコをやめるかもしれません。しかし、ある物語・理論・理屈が正しいと言っているだけです。
第3人者についてのHe will be head of this university(彼は大学にトップになるでしょう)というのも、理論・予言ですので、willを使います。話者の予言ではなくもっと情報があって、彼が大学の学長になることが決まっていて、He is going to be head of this universityを使います。willを使うというのは「私の説では」ということです。
たとえ上述の説明が的中であっても、まだ「言葉のなかの将来」はどういうことは見えてきません。できればほしいのは多くの場合に使える和訳ですが、そのような和訳はあるかな。
もう一つ気になるところは、もし「will」は言葉でしたら、これはただ言葉一般ではなく、*誰か*の言葉です。誰かの頭の中の言葉というか、少なくとも誰かが非常に親密に感じていることばかもしれません。そこで、Willという「言葉の中の将来」、あるいは、「言葉としての将来」を考えると、武士に二言なし」とか「有言実現」とかやたらと男らしい態度、ちょっとやくざチックなほどの態度を創造します。そこで、「このとおり」という表現が少しは似ていると思います。似ていてぜんぜん似ていません。
日本語の「このとおり」の中の「この」は、言葉ではなく、話している本人の姿をさしていると思います。頭をさげて頼むときに言うと、「この」は「頭をさげている本人」だと思います。しかし、我々やくざチック欧米人は自分の姿ではなく、自分の言葉に同一感を持ちますので、「この」をこの言葉と理解していると思います。。。。そこで、 日本人は言葉ではなく、自分の姿に同一感をもつので、変に聞こえるかもしれませんが、下記はどうでしょうか?まったくちんぷんかんぷん?
I'll call you. このとおり、電話します。
I will be dead. このとおり、私は死んでいます。
If you smoke, you will die.タバコをすえば、このとおり君は死にます。
He will be the head honcho of this university. 彼は、このとおり大学の学長になります。